BLOGブログ

2019年08月15日

終戦から74年。75年前に撮影された一枚の写真より…

NEWS ひとみの部屋

74年前の今日、
昭和20年8月15日とは
日本にとって
一体どんな一日だったのでしょう。



毎年この時期になると、

ニュースでは
総理大臣の靖国神社参拝がどうとか

戦争にまつわる特別番組が
放送されたりしますよね。


これは、75年前に撮影された
ある家族の1枚の写真です。








昭和19年9月5日、
20歳で陸軍歩兵として
山形部隊に入隊した
ひとりの青年(写真左下)。


結婚してわずか1年の妻と両親が
青年が戦場に向けて出港する
数日前に会いに行った際に
撮影されたものだそうです。


夫を失うかもしれないという
底知れぬ不安を抱えていたであろう
まだ18歳の若い妻、

一人息子を
戦場に向かわせなければならない
両親の辛さ、悔しさとは
一体どれほどのもの
だったのでしょう。


この写真が撮影されて間もなく
昭和19年10月30日、
青年は福岡から
戦場のフィリピンへ向けて
出港します。


フィリピンへの上陸を待たずして
船上でマラリアなどの病気で亡くなり
南シナ海の海底に
遺体を沈められた仲間や、

病気に苦しみながら
恐らく奥様であろう
女性の名前を叫びながら
亡くなっていく戦友の声を聞き、

青年は胸が締め付けられる思い
だったそうです。


目的地のフィリピンへ上陸直前、

現地はアメリカ軍によって
包囲されているとの情報から

青年の乗った軍船は
急遽シンガポールへと目的地を変更し

出港から24日目の
昭和19年11月22日に
シンガポールに上陸。


その後間もなく
移動したマレーシアでは
当時日本軍が優勢だったため

幸いにもこの青年自らが
兵士として
銃を放つことはなかったそうです。


そして…

青年が日本の敗戦を聞いたのは
昭和20年8月15日から
一週間ほど経ってからのこと。


敗戦を知らされると、
日本軍は無人島(レンバン)に
移動させられ、

イギリス軍の支配の下
過酷な労働を
余儀なくされたそうです。


食料は一日一合ほどのお米のみ。

おかずや調味料などは
一切ありません。


ほんのわずかの塩味を求め、
海水を混ぜて
お米を炊いて食べたそうです。


言うまでもなく、
過酷な労働に対する食料としては
あまりにも少なく…

空腹を満たすために
木の葉や実はもちろんのこと
へびやかえる、トカゲなどを
煮たり焼いたり…


そんな生活をすること約10ヶ月、
昭和21年6月に
青年はアメリカ軍の船によって
無事に日本に帰国の途に着きます。


名古屋港に到着するまで、
青年が乗った船が
本当に日本に向かっているのかさえも
分からなかったそうです。


戦時中、マラリヤや
デング熱などの病に倒れながらも
青年が陸軍であったこと、

青年が乗った船が
フィリピンに
上陸できなかったことなど

さまざまな幸運に恵まれ
無事に帰国できたこの青年は
現在95歳。


紛れもない私の祖父です。


祖父の帰還がなければ、
私はこの世に生を受けませんでした。


この話をしてくれた祖父は、


「あんな苦労を経験すれば、
どんな苦労にも耐えられる…。」

そう言って笑いました。

「自分は本当に運が良かった。」

でも、その目には
うっすら涙が浮かんでいました。


祖父のように
戦争の実体験を話せる人が
今日本にどのくらいいるでしょう。


70年以上経った今だからこそ

「戦争を語り継ぐ」ことの大切さを

改めて実感した瞬間でした。

CONTACT

お問い合わせ

ご予約・お問い合わせはこちら

お問い合わせフォーム

お電話でのお問い合わせはこちら

022-796-7548