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2018年09月20日

毛セラセラオーナー:千葉響登充のプロフィール(ぶっちゃけ編)

オーナープロフィール

毛の悩みも人生も
なんとかなるかの
「毛セラセラ」♡


ご訪問ありがとうございます。


「毛セラセラ」オーナーの
千葉響登充(ひとみ)です。


こちらは(表向き編)を読んだ後に
お読みください(笑)

▷▷▷毛セラセラオーナー:千葉響登充のプロフィール(表向き編)


ややぶっちゃけます(笑)







26歳の時、
ひょんなことをきっかけに
約半年間、ロサンゼルスに滞在しました。


ひょんなこと...とは、
当時建設仮設会社のOLとして
働いていた会社が倒産し

ちょっとの間
夜のお仕事をしていた時期に起こった
かなりレアな体験です。


そのレアな体験は
公には公表できないほど
刺激的なシンデレラストーリー
(私個人の勝手な見解ですw)ですので
ご興味のある方は
個別に㊙ということで(笑)


では本題に。


ロサンゼルス滞在中、
一人のアメリカ人男性と知り合い
その方とお付き合いすることになりました。


憧れのアメリカ、ロサンゼルス。


そこで知り合ったアメリカ人と
まさかの交際!?


今思うと、
ホント夢のような時間でしたね~(笑)


しかも、元々日本が大好きだった彼は、

「今度は俺が日本に行く!」

と言って、
某大手英会話スクールの
英会話講師としてビザを取得し、来日。


なんと、
私が住む仙台に引っ越して来たのです。


ロサンゼルスで知り合った
アメリカ人男性が
こんな私を追って日本に来日~!?

マジ、ビックリですよね。


愛されてたなぁ~~あの頃は(笑)

なんて、かれこれもう18年前の話です。


最初は両親に
彼との交際を認めて貰えず

同棲しようとして探した
マンションの保証人にすら
なって貰えませんでした。


それでも彼との日本での生活は幸せでした。


彼は英会話スクールの英会話講師、
私はブライダルコーディネーターとして
働きながら、

彼は徐々に日本にも馴染んでいき
私は彼との言葉の壁は感じながらも
まぁまぁ平和な日々を過ごしていました。


でも、そんな平和な生活は
長くは続きませんでした。


そもそも見知らぬ土地で知り合った
外国人と付き合うことになって。

今思うと、私ったら
調子に乗って
舞い上がっていたんでしょうね。

徐々に不満が募っていきました。


事の発端はと言うと、


彼が突然

「英会話スクールをオープンする!」

と言い出したのですΣ( ̄□ ̄|||)!


当時の私は言うまでもなく大反対。


某大手英会話スクールから
ある程度のお給料は貰えていたし、


そんな、
上手く行くかどうかもわかんないのに
あえていばらの道を進まなくったってーーー!!!


猛烈に反対しましたが、
そんな程度で諦める人ではありません。


そこからは試練試練の連続でした。


はじめは反対したものの
もちろん私は
全面的に彼をサポートする側に。


私、なんだかんだ言って
面倒見のいいオンナ、なんです。
だからね、
できるだけのサポートはしましたよ。


スクールとして使えそうな
物件を探すことからはじまり、
契約ごとにいたっては、ほぼ全て私。


なんとかしてあげたい
できるだけ力になりたい


そう思う反面、


どうして私がこんなことまで
しなくちゃいけないの?
こんなはずじゃなかった。。。


そんな思いを抱えながら
彼との生活は続きました。


もちろん、私の英語力が
もっと長けていたら
それ程の不満には
ならなかったのかもしれませんが
まぁ、後の祭りです。


そんなこんなしながらも
無事にスクールはオープンし、
お陰さまで徐々にスクールは
大きくなっていきました。


その頃には
あの時あんなに反対して
本当にごめんねって思ってましたね。


やってもいないのに否定から始まる


これ、一番良くないことだなって
今になってしみじみ思います。


しかも一番支えて欲しい相手からの大反対。
私って、ホント酷いオンナでした。


スクールとしても順調に成長し始めた頃、
あるところからの一本の電話が
運命を変えることとなります。


その一本の電話とは、
これまで一切関わったことのない
「宮城県高校教育課」。

内容は、文部科学省が提示する
今後の英語教育に関して
宮城県が企画した大きなセミナーを
遂行するべく有能な業者を
入札で募るというものでした。


にゅ、にゅ、入札ってなにーーー!?


でも、それはもしかして
物凄く大きなチャンスかもしれない


そう思った私たちに、
やはりチャンスはやって来ました。


入札額わずか二万円ほどの違いで
落札した私たちは
(〇百万円の落札額でしたから、あれはホント奇跡としか言いようがありません)


その企画で
高校教育課の主幹の方はもちろんのこと
英語教員からの絶大な支持を受けました。


それをきっかけに彼は、


教員が抱える教科書の悩みを解消してあげたい!!


と情熱を燃やし始め、
遂には高校の英語の教科書を
出版する事を決意するに至ります。


英語の教科書を作るって発想


凄くないですか(笑)?


でもね、始めはホント大変でした。
文部科学省からは...足元見られてました。


当たり前ですよね。
だって、全国で使われる
高校の英語の教科書ですよ。


大手出版社の教科書は
有名な教授が何人も編集に
携わってるのに対して、


私たちの教科書ときたら
会社が無名なことは言うまでもなく

どこの馬の骨ともわからない
名もない外国人と

せいぜい日常会話が
ちょこっとできる程度の日本人(私)。


そりゃ誰が見たって
こんな会社が教科書の出版が
できるのかって感じなわけです。


紆余曲折
(ひと言では語りつくせませんが)、
やっとの思いで初の教科書出版を果たした
私たちのデビュー作は
なんと宮城県での採用部数ナンバーワンに。


初の教科書出版としては
異例のスタートとなります。


それもこれもアメリカ人の彼の強い意志と
カリスマ性に他なりません。


順風満帆に出版社として幸先のいいスタート
と思った矢先...


思わぬ悲劇が起こりました。


東日本大震災。


納品した教科書が流され、
スクールの生徒さんは
来れなくなる方が相次ぎ、

一時は会社の存続も危ういのでは...
と思うほどの状況でした。


同時に、数年前から闘病していた父が
東日本大震災の3ヶ月後に亡くなりました。


更には、
日頃から衝突が絶えなかった私と彼は、
父の他界から間もなくして
終止符を打つことになりました。


交際期間約11年半。


長すぎた春...です(笑)


彼との別れと共に
スクールからも離れるべきだったと
今となっては思っています。


でもね、当時は
スクールを経営しながら培ってきた
職場でのポジションや
教科書の出版社としての業績や責任や
何もかもが手放せず
私はそこを離れる決断ができませんでした。


逆に

仕事は仕事、
彼とは割り切って仕事を頑張ろう!!

と思いました。


でもね、その選択が
そもそもの間違いでした。


そこから更に歯車が狂い始めます。


別れた男と女、
上手く行くわけがないんです。


結果、私は約13年携わった職場を離れ
起業を決意。


それが紛れもなくこのサロンです。


どうして脱毛サロンだったかは(表向き編)にて(笑)

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